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こんにちは!阪神ネジの山里です。5月23日に経営について学ばせて頂いている実践道場大和の皆さんと一緒に比叡山延暦寺に行ってきました。素晴らしい1日でしたので、ブログにしたいと思います。
阪神ネジをもっと良い会社にして社員の皆さん、家族を幸せにしたいと常々思っていますが、未熟者でなかなかできません。そこで先人の本を読み、お寺に行ってそのことを相談したりすると不思議なことに同じことを教わりました。それは、自分自身にすでに素晴らしい無限の知恵はあるが、それにふたをしているのだというのです。そのふたを開ける方法は瞑想や坐禅をし、自分の心を無にするとそこに近づけるらしいのです。
しかし!瞑想をしているのですが、妄念雑念が全く消えません(笑)
どうやったら無になれるのか?と思っていたところ今回の比叡山延暦寺の案内をいただいたので飛びついた感じです。
比叡山延暦寺とは
比叡山延暦寺は、比叡山に広大な寺域を持つ、天台宗の総本山です。1200年前に天台宗を開宗した最澄さんがルーツとなっています。「すべての人が仏になれる」「一隅を照らす」という教えが有名っかと思います。また延暦寺は、日本仏教各宗各派の祖師高僧を輩出している道場としても有名です。
法然・栄西・親鸞・道元・日蓮は延暦寺で学んでいます。詳しいことはウエブサイトに沢山載っておりますので是非ご覧ください。
比叡山延暦寺 公式ホームページ
https://www.hieizan.or.jp/
根本中堂と浄土院
実は「延暦寺」という名前のついた建物はありません、延暦寺とは比叡山内にある100ほどの堂の集まりの総称のことを言います。今回、いくつかの堂を回らせてもらいましたがその中でも素晴らしいと思った2か所を紹介します。
根本中堂の建物内は、写真撮影が出来ません。
浄土院
ここは最澄さんが安置されている場所と言われています。境内はめちゃくちゃ綺麗に清掃され、すべてのものが完璧に整頓された状態でした。凛とした雰囲気に包まれていて、心が鎮まるというか、引き締まる思いがいたしました。ここでは今も最澄さんが生きていらっしゃるかのように修行されている僧の方がお仕えになっています。
この修行は十二年籠山というもので十二年もの間、浄土院の中から出ることは許されず午前3時に起床し、お経を読み、食事を差し上げ、境内掃除などをします。ほこりひとつ落ちていてはならないということで、「掃除地獄」とも呼ばれているとのことです。境内では絶やさず香を焚いているのですが、何とも言えない心を浄化してくれるような気持ちのいい香りでした。浄土院は少し歩かなければならない離れたところにあり、参拝客も少なかったのですが是非とも行ってほしい場所です。
根本中堂
根本中堂には1200年間絶えることなく灯りつづけている「不滅の法灯」があります。1200年の間にあったあの織田信長の焼き討ちの時も奇跡的に他のお寺に分灯しており、一度は消えたもののその灯をもらい復活したという逸話も残っています。今回訪問した時は、工事中で外観は見ることができませんでしたが、建物中には入ることができました。薬師如来が鎮座しているのですが、ちょうど私たちの目線と合う高さにおられ、最澄さんの「すべてのひとが仏となれる」という教え通り平等な思想がここでもあるのだということを知ることができます。
建物内にはお香の香りが漂い、本当に荘厳な素晴らしい雰囲気です。ここにいるだけで心が洗われるようでいつまでも居たいと思わせてくれます。
坐禅研修
今回はこのために来たと言っても過言ではありません。自分の中の自分、それが本当の自分であり、いわゆる真我を感じることで本当の利他の生き方ができる、またその探求の方法のひとつとして瞑想、坐禅があると教えていただきました。
ただ、瞑想していても私の頭は「今日はこれとこれをしなければ」「この仕事はあーして、こーして」と妄念、想念が頭の中を埋め尽くしなかなか呼吸に集中できず時間ばかりが経ってしまいます。そこで、今回の坐禅研修の案内を見つけ参加させていただいた経緯です。
坐禅について
実際の坐禅に入る前に坐禅の目的、意味、やり方を住職がひも解いて頂きました。
坐禅という字
坐という字は人という字が2つあります。ひとつは自分のこと、もうひとつはもうひとりの自分ということとのこと。禅はしめすへんに単という字です、これは人が単、つまりひとりということを表すようです。
坐禅止観(ざぜんしかん)
心をとめるという意味。イメージとしては濁った池があったとします。その池には風が常に吹いていると池の底にある土は舞い上がり、水が濁ってしまいます。風をとめ静かな状態になると土はそこに沈み水は綺麗な澄んだもの二なります。心も一緒で、普段の生活はざわついたものがあるが、心を止める、静めることで澄んだものとなり本当の自分が見えるということです。
坐禅のための準備
調身、調息、調心の3つの準備をします。
調身とは、正しい坐禅の姿勢をするということです。住職に教えていただいたのは、
1.少し高めの座布団にお尻だけ座る
2.右の足を左の腿の上にのせる。(半跏趺坐)
3.手は掌を上に向けて、右手を足の上におく。その上に左手をのせ親指同士を合わせて楕円をつくる。
4.目は薄目にして1m前方の床を見る感じにする
手の楕円の形状が崩れているのか、崩れていないのかで坐禅に集中できているかどうか分かるようです。
次に調息です。鼻で呼吸し、どちらかと言えば吐く方に意識をするとよいとのことです。最後に調心です。心を無にすることが坐禅では求められますが、初心者はそのやり方として呼吸(吸って吐く)を1回するごとに1,2,3と数えると良いとのことです。このやり方を数息観と呼ぶようです。
この3つの準備が出来たら坐禅の時間に入ります。
この状態で数十分坐禅をします。
今回は、静寂な環境、荘厳な雰囲気もありいつもよりも坐禅に集中することができました。ただ、まだまだ無になることは難しかったです。ご住職にどうしても雑念が出てしまうがどうしたらよいのか?という質問をしてみました。
坐禅中に何か思い浮かぶこと、感情が湧き出ることがあるが、それはそれで悪いと思うのではなく、受け流させるようになれば良いと教えていただきました。あと、場所を変えてやってみること、そして続けてやることが大事と教えていただきました。
まとめ
今回、比叡山延暦寺に初めて参拝させていただきました。もちろん一回行ったから心を無に出来たり、すべてを感じることができたりするわけではありませんが、自分の中に本当の自分というものがあるのだと信じられるようになりました。
難しいことは勉強不足で分かっていませんが、これだけ昔から、数えきれない多くの人が世界中で同じ学びを今もなお求めていることからそれは本当なんだと感じます。まだまだ未熟者ですがこれからも精進してせめて自分の周りのひと達だけでも良くできるようにこの人生を楽しめたらと思いました。
ご一読賜りありがとうございました!